こんにちは、とあるです!
今回、お話しする映画は、
『仁光の受難』
(C)TRICYCLE FILM
です!!!
本作はですね、予告から気になっていたので借りて観てみたのですが、結論から言うと、
面白かった!!!
予告動画をあらすじと人物紹介のあとに載せておきますので、見て気になった方はまず観てみることをオススメします!
この記事の目次
- ストーリー
- 予告動画
- ネタバレ
- 感想&レビュー
- バランスの取れた良作
- 物語に色を添える音楽
- 浮世絵と曼荼羅
- 「悪事千里を走る」とは言えども…
- 最後に
ストーリー
謹厳実直な僧侶の仁光は誰よりも修行に励む真面目な性格だが、女たちに異常にモテるのが悩みで、若い町娘から熟女の女房、果ては老婆まで、あらゆる女たちが寄ってくる。
周囲を惑わす己の不徳を恥じた仁光は、自分を見つめ直す旅に出立し、道中で知り合った浪人の勘蔵とともに、とある寒村にたどり着く。
そこでは男の精気を吸う妖怪の山女が村人たちを苦しめており、仁光と勘蔵は山女の退治を頼まれるのだが……。
映画.comより
予告動画
ネタバレ
※この項を飛ばして感想&レビューが読みたいという方は、
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感想&レビューを読む
武蔵の国にある延明寺の僧侶、仁光(辻岡正人)
彼には女性に異様にモテるという、僧にとって悩ましい性質を持っていました。
仁光が托鉢に出かけると、たちまち町娘たちに囲まれてしまうといった具合で、いつも托鉢どころではなくなってしまうのです。
謹厳実直な仁光が次第に托鉢に出るのにためらいを感じるようになっていた頃、それを悟った延明寺の和尚妙光は彼の托鉢を禁止しました。
ほかの僧が托鉢に行っている間、仁光が一人掃除にはげんでいると竹やぶの中から彼を呼ぶ声がします。
声の主は一人の町娘でありました。
彼女は物陰に身を潜めてこちらを見ていましたが、仁光が近づくと、逃げるように竹やぶの奥へと走っていきました。
あとを追う仁光。
さらに奥深く入り込んだところに彼女はいました。
町娘は仁光を見ると体がうずいてたまらなくなるといって着物を脱ぎ、そのまま、狼狽する仁光の手をとって、自身の乳房にあてました。
その途端、仁光の手は火傷したように赤くただれてしまいます。
倒れこんだ仁光が振り返るとそこには目も口も鼻もないのっぺらぼうが立っていました。
仁光は恐れおののき、その場を走り去りました。
その出来事が頭をめぐる仁光は寺に帰った後、座禅を組んで心の平静を保つことにしますが、托鉢の際に寄ってくる町娘の裸体を想像してしまい、さらにぐるぐると彼の頭を回るのでした。
意を決した仁光は、妙光に己を見つめなおすための旅に出ることを申し出ると彼は、
「煩悩と向き合って乗り越えることと、それを認めず押さえつけることは違うぞ。」
と説き、見送りました。
東海道を歩く仁光は、やはり行きかう娘たちに誘われつづけます。
その後、人を避けて、山を歩いて渡ることにしたにも関わらず、今度は女性の幻影に襲われ、付きまとわれることとなる仁光。
修行に打ち込めば打ち込むほど、その影は数を増やしていき、彼を疲弊させるのでした。
しかし、歩みを止めない仁光は道で一人の浪人と出会います。
じっと立っているその浪人のそばには、肩からスッパリと斬られ死んでいる男が倒れていました。
浪人の名は勘蔵(岩橋ヒデタカ)と言いました。

勘蔵は仁光に読経するよう頼み、仁光もそれに答えて読み始めるのですが、勘蔵は仁光のことをジロジロと見て言います。
「お前、どこかで見たことがあるな…。あぁ、延明寺の淫蕩坊主!」
モテすぎる仁光には本人の意思とは関係なく女性がついてくるものの、それを見ていた町人にはそのように映っていたのでしょう。
「いい加減なことを申されるな!拙僧は一度たりとも戒律を破ったことはございませぬ!」
仁光は声を荒げて言ったのち、勘蔵のもとを去りました。
しかし、仁光に興味を持った勘蔵はあとをついてきます。
二人はそのまま歩き、赤槻村というひどく寂れた村にたどり着きました。
赤槻村では、おせんという女性がカラカラに干からびた死体を抱いて、座り込んでいました。
仁光と勘蔵が、おせんとその父親である村長から話を聞いてみると、
村のそばの山に山女(若林美保)と呼ばれる妖が出て、妖術で男をたぶらかしては精気を吸い取り、既に村の男たちが多く犠牲になっていることがわかりました。
話の最後に村長から山女の退治を頼まれた仁光と勘蔵。
仁光は自身が修行中の身であることを理由に断りましたが、勘蔵は違いました。
山女を退治する代わりに家の譲渡とおせんを娶ることを条件に出したのです。
そして、所詮は色狂いとたかをくくる勘蔵は、山女は仁光の仲間ではないかと冗談を言います。
色狂いと言われたことに腹を立てる仁光をよそに、村長は仁光という名に聞き覚えがあると言い、記憶をたどっていました。
そして、村長が
「武蔵の国の延明寺の…」
とまで言ったところで、仁光は話をさえぎり、自らは仁光ではなく仁光坊という別人だと偽り、その場を切り抜けました。
勘蔵が山女退治に向かったあと、仁光がおせんの夫の死体に読経をしながら、
「山女が男を惑わす妖ならば、女を惑わす己は一体なんなのか。」
と考えていると、おせんが乳房をさらけ出した姿で現れました。
仁光は叫び声をあげてその場から逃げ出します。
その時、仁光は思うのでした。
「異常だ。これは異常だ。夫を亡くしたばかりの女性すらも、淫蕩の病に引きずり込む自らは、妖と同じじゃないか。」
と。
一方、山女退治に向かっていた勘蔵は、山道を歩きながら背後にただならぬ妖気を感じていました。
しかし、刀に手を当て振り返ってみると、そこにいたのはあとを追いかけてきた仁光でした。
なにかを感じた勘蔵は仁光に自身の身の上話を始めました。
勘蔵は昔、ある武家に家臣として仕えていましたが、ある日突然にほかの家臣や女中を次々と斬り殺した彼は人斬り勘蔵と呼ばれていました。
元々は人を斬りたいなどとは思っていなかったものの、心の奥底ではそう思っていたのか、切り替わるのは一瞬だったと言います。
そして最後に勘蔵はいいました。
「どうだい、御坊。俺も立派な妖だとは思わんか。」
その瞬間、ハッとした仁光は目の前が歪むような錯覚を覚え、立ちすくんでしまいます。
勘蔵はそんな仁光を置いて、先に歩き始めるのでした。
大きく遅れを取ってあとを追った仁光が見たもの、
それは、干からびた勘蔵と、それにまたがる山女の姿でした。
勘蔵は山女の妖術にかかり、精気を吸い取られてしまったのです。
気配に気づいた山女は、仁光のもとに歩み寄り、衣類をはがしていきます。
山女に襲われた仁光は、妖術にかかり反抗できない己の不甲斐なさに泣き出しますが、ぽつりと呟きました。
「致し方ない。」
呟きはやがて叫びに変わり、仁光は何度も何度も自分に言い聞かせるように連呼しました。
そして、今までされるがままだった仁光は逆に山女を犯し始めました。
引っかかった、と喜びを顔に出す山女。
しかし恍惚の中で山女は、仁光の中に深い闇のような“何か”が存在するのを見ました。
「おぬし、まことに人か?…いやじゃ、離せ!離せ!!!」
と山女は恐怖に駆られた形相で叫び始めます。
「離せぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」
突然、山女の肉体は断末魔と共に四散し、あとには着物だけが残りました。
立ち上がる砂ぼこりが黒い渦を巻いて辺りを覆い、仁光を包みます。
彼の中の“何か”が生まれた瞬間でした。

その晩、仁光は村に戻りませんでした。
翌朝、赤槻村では女性が一晩のうちに全員消えるという奇妙な事件が起きたといいます。
「東海道の村里に仁光坊と名乗る旅の僧が現れたら、決して泊めてはならない。一度泊めれば仁光坊は、夜中のうちに村中の女を連れて姿を消し、二度と戻ってはこないだろう。」
赤槻村の噂はいつしか広まり、人々は仁光坊の怪といって、これを恐れました。
感想&レビュー
バランスの取れた良作
予告動画を見られた方は今作を単なるおバカ映画と思われたかもしれません。
少なくとも僕はそう思いました…w
でも、違ったんです。
前半はコメディ色強めに、そこから徐々に雲行きが怪しくなり…?
話の質をガラリと変えつつも、70分という短い時間にしっかりとまとめあげた庭月野議啓監督には驚きです。
物語に色を添える音楽
予告動画に使われているラヴェル作「ボレロ」は、
尺八奏者であり、和楽器バンドのメンバーでもある神永大輔さんが担当しました。
「ボレロ」って和の物語にも合うんですねぇ。
使われるシーンがシーンなだけに、馬鹿馬鹿しさ全開ですが、映像にも合ってて良かったです。
浮世絵と曼荼羅
今作は実写が基本となって進みますが、合間合間に浮世絵や曼荼羅を使ったアニメーションが入ります。
それには仁光も登場するのですが、
本来の浮世という言葉には現代風、当世、好色という意味もあり、浮世絵は当代の風俗を描く風俗画でもありました。
そこに世俗的な事からは離れているはずの僧が描かれるということは、
無意識ではありながらも女性を引きつけるという性質を持った仁光に皮肉を込めたように映りました。
そして、基本的には物語をキャッチーに表すように挿し込まれているアニメーションですが、ラストの山女と仁光が対峙するシーンは違います。
彼の中で妖が目覚めた瞬間。
それは殴り書きのような黒い線で描かれるんですね。
めちゃくちゃかっこいいですよ、このシーン。
「悪事千里を走る」とは言えども…
仁光の旅は武蔵の国にある延明寺から始まりました。
作中では歌川広重の「東海道五十三次」を模して、品川、原、二川、御油と渡った仁光の様子が描かれています。
御油宿は次の赤坂宿とはわずか1.7kmほどの位置にあるため、当時は何とか宿に泊まらせようとする客引き女が多くいたそう。
そのため仁光は山伝いに旅を続けることにするのです。
仮に仁光が東海道の起点、日本橋から出発し、御油宿まで行ったとすると道のりは298km。
そこからさらに山をわけ行って進んだところにある赤槻村までは更にあるでしょう。
そんな延明寺から離れた場所の、往来の少ない寂れた村まで仁光の噂が伝わるのかな、と思いました。
最後に
この作品については、感想&批評の項で書いた通り、単なる安いおバカ映画だと思っていました。
しかし、いざ鑑賞してみると楽しみであった馬鹿馬鹿しい笑いはしっかりと楽しめた上で、想像もしていなかった更に上の面白さへと連れて行ってくれたのです。
やっぱり、映画って観てみないとわからないものですね…。
僕の中で『仁光の受難』は今年見た映画の中でトップ3に入る作品となりました。
劇場で観たかった作品。知るのが遅すぎた…。
ごめんなさい、監督…。